matuobasyou松尾芭蕉の道http://www.ict.ne.jp/~basho-bp/index.html 芭蕉さんについて http://www.ese.yamanashi.ac.jp/~itoyo/basho/basho.htm 芭蕉文集 エトセトラ 【原稿の資料】 1644年に現在の伊賀市上野赤坂町に誕生。私たちと同じ三重県民である。 有名な『奥の細道』他、『笠の記』など、計三十八の文集が知られている。 芭蕉は若い時、上野の侍大将の藤堂新七郎家に奉公に出て、若様のお側近くに仕えました。その若様が俳諧を学んでいた事から、芭蕉もその教えを受け、親しむようになりました。 芭蕉が本当に俳諧の道を志すようになったのは、若様が亡くなり自分も藤堂家を離れるようになった時からです。芭蕉は、俳諧の自由な世界に身を置こうとしたのです。 そして、芭蕉は江戸へ下り、蕉風俳諧といわれる新しい俳諧をつくるようになりました。その頃の俳諧は、滑稽や奇抜さを持ち前とする作風が流行していましたが、芭蕉はそれに満足せずいつの時代でも本当に人の心に触れるものを目指したのです。 伊賀上野の城下赤坂街(現三重県伊賀市上野赤坂町)に、松尾与左衛門の次男として生まれる。 元禄7年から毎年芭蕉の命日である10月12日に、「しぐれ忌」が催されてきましたが、昭和22年より「芭蕉祭」として発足。セレモニーをはじめ、全国俳句大会や芭蕉翁遺跡参観など、山都伊賀上野にふさわしい、文化薫る歴史のまちの風物詩となっています。 元禄7年(1694年)10月12日、51歳で亡くなりました。 旅に病んで夢は枯れ野をかけめぐる 〔意味〕旅の途中で病気になっても、夢の中では草の枯れた野原を旅している という死を前にして詠んだ句は、旅を愛した芭蕉の生涯を表していると思われます。 ----------------------------------------------------------------- 1ページ目 三重県の代表的な歴史人物である松尾芭蕉さんをもっとよく知りましょー 2ページ目 ------------------------------------------------------------------ 奥の細道について 俳句は、文集などの中に含まれるものを入れて1070こ |